2017年9月26日火曜日

無感情に、人の世を超越して

戦いの果てに尽きた両者の記憶は薄れ
行くあてもなく彷徨う歴史は
この世から消え去る
二人の巨大な亡骸はそこに横たわり
誰もそれに気づくこともなく
風化し
消えて
無くなる

その戦いの火種も今ではわからないし
この二人が存在したことも
人の世にはもうすでに
関係する事がない

その儚さも
空虚さも
人の世の中でのみ成立するもので
ここにはもうない
たしかに二人の残した微かな痕跡は
今もこの世界に存在する
無感情に

人の世を超越して

2017年9月25日月曜日

昔の自分に似てるから

昔の自分に似てるから、助ける。
昔の自分に似てるから、助けない。

2017年9月24日日曜日

ズンズンズンドゥン 日曜の朝

ズンズンズンドゥン
日曜の朝
ズンズンズンドゥン
どこからともなく
ズンズンズンドゥン
聞こえてくる
ズンズンズンドゥン
このリズミカルな響きは
ズンズンズンドゥン
誰かのパーティーか
ズンズンズンドゥン
それとも
ズンズンズンドゥン
洗濯機のドラムの音か
ズンズンズンドゥン

ズンズンズンドゥン
日曜の朝
ズンズンズンドゥン
まだ終わらない
ズンズンズンドゥン
この響き
ズンズンズンドゥン
洗濯機の響きが
ズンズンズンドゥン
段々遠ざかる
(ズンズンズンドゥン)
車のエンジン音と共に
ズンズンズンドゥン(半角)
車が流す

音楽だったか

2017年9月23日土曜日

破裂する頭

頭のなかは一杯になり、
そこへは無限に考えや思いや想像が、
どこからともなく湧き出るのに、
そこから出て行くのはほんの少し。
狭い蛇口からは頭の中に詰まっているものがちょろちょろと出るばかり。
それでも蛇口を開けてどうにかして頭の中を外に出そうとしないと、
いつか頭の膨張も終わりを迎え、
水を入れすぎた風船のように破裂してしまうんじゃないか。

2017年9月22日金曜日

根を引きちぎって

根を引き抜いて、根を一本ずつ引きちぎって、
風を体に受けて、思いっきり風を受けて、
飛んでいく

2017年9月13日水曜日

頭痛

あたまがいたい あまたがまたまが あまたがま あまがたいがいが いがいたいが あまいがいが たまいがいまた たいまいだが あいまいだが あたまがいたいが

2017年9月12日火曜日

最後の見送り

アシモフのモフモフ あまぐりのグリグリ アステカのテカテカ そこびえのビエビエ あかすりのスリスリ ようがしのガシガシ ガンジーのジンジン ふるえだのエダエダ ぬりむらのムラムラ おっかあのカアカア アラスカのスカスカ アントンのトントン ドクダミのダミダミ アサガオのガオガオ てっさくのサクサク すぎはるのハルハル たけざおのザオザオ なきおやのオヤオヤ

2017年9月11日月曜日

2017年9月10日日曜日

忘れる忘れる何でも忘れる

記憶はまるで、虫に食われたセーターのようだ。 時系列通りにいくら思い出そうとしたところで、そこには常に虫食いがある。 別に虫が脳に住んでいて、記憶を食べて生きているわけではないのだろうが(そう思いたいが)。 思い出せないというのはなんだか怖いことだ。 しかし、思い出せないものを思い出すことはできないから、どの記憶が欠けているのかはわからない。 だから、ある意味ほんとの恐怖ではなくて、中途半端な、実体の欠けている恐怖だ。 それに気づくのは、他人との会話の中とか、自分で何かしようとしたときに、ふとある部分の記憶が無いことに気づくとき。 それ以外の時には、ただ漠然と記憶の欠けている部分に対して小さな恐怖を種が芽を出すのを感じながらも、それは育っていかない。 それが育つのは、育つのは・・・育つのは・・・