2016年2月11日木曜日

五歳の私

五歳のわたしには複雑性が非常に高かったかもしれないが、今の私にはそれは失われているだろうか。音の関連性は私には理解できないが、耳と喉に心地よい、脳にも心地よい響きが私の中で生まれ、そして消えていく。これはそれを留めるためのものかもしれない。

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