2016年2月20日土曜日

リソーとリソース

リソーも大切だがリソースも大切だ。時間とか人とか資源、資金とか。でもリソースがあってもリソーがなければなにもできないかもしれない。リソーのためにリソースを使うことが大切なのかもしれない。 その違いを分けるのが、他でもない「ス」の存在だ。ス、すなわち活動拠点なくしては、理想を追い求めることも、リソース管理をすることも難しくなる。ノマド的な生活をするのであっても、このスは大切である。その場合、スは行く先々で物事を行う際の一時的な拠点がスとなる。裁縫をする場所、パソコンをつつく場所、トイレ、などなど、これらすべてがスとなるのだ。そして、スに含まれるクエン酸はストレスにも効くというから、この大切さは底知れない。 だが、リソーとリソースを基に作り上げたものにコショウがあってはいけない。人も機械もコショウしないほうがいい。だが、ここにも大切さが振りかけられている。そう、コショウも大切な存在だ。食べ物を食べる前にコショウを味見するとゴエンが少なくなるという。呼吸器官へとゴエンしてしまうと勢いよく咳き込んで、たいしたことなくとも周りの人が驚いて「なんだこいつ、しぬのか?」と慌てふためいてしまう。意図的にゴエンをして、周りの不特定多数もしくは特定の人物に心配してもらって、そこから発展する類のゴエンもあるかもしれないが、そんなのは「ゴエン玉をお守りに持っていればゴエンがある」なんていう程度の言葉遊びなので真に受けないほうがいいだろう。

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