2017年7月31日月曜日
ねむい
ねむいです。
眠い甘さに、身を任せたい。
危険性の漂う水面に、身を委ねる危機感との間で、揺らぐ心。
抗いながらも、だんだんと境界線が薄れてゆく。
一瞬、また一瞬と、時が途切れ消えて、気を引き締めようという意識が、頭の中に芽生えるけれども、それが花咲ことはなく、しかしまた、完全に眠りの心地よさに流されることもなく。
絡みあった縄のような、そんな感覚に身を絡め取られながら、現実と、虚無の世界とを行き来する。
筋肉を大きく動かせばこの複雑に頭の中の靄に纏わりついた縄を解けるだろうが、周りの似たような状況にいる乗客を前に、彼らを脅かしたくない。
虚無の世界で縄に足を絡めとられそうになりながらも、その眠気という誘惑に打ち勝とうと、打ち勝とうと...
2017年7月30日日曜日
2017年7月29日土曜日
ばしょう
ばしょうはどんなばしょうでしょう。あたたかいばしょうでしょうか、さむいばしょうでしょうか。あかるいばしょうでしょうか、くらいばしょうでしょうか。くさきもそだたない、かこくなばしょうでしょうか。はなかぐわしい、ひよくなばしょうでしょうか。それとも、ばしょうではなく、ばしょでしょうか。
2017年7月28日金曜日
2017年7月27日木曜日
たいよう
たいようなんて、だいすきでだいきらい。強すぎる日差しが肌を刺し、目を焦がし、頭をふらふらさせる。汗はだらだら、熱気はむんむん。でも、寒いときにはとても優しく、冷えた体を温めてくれる。みんなを殺し、みんなを救い、みんなを生かし、みんなを騙す。それがたいよう。
2017年7月26日水曜日
まっとう、ですか
まっとう、ですか?
いいえ、まっとうではありません。あなたは、まっとうですか?
いいえ、わたしも、まっとうではありません。
うーん、そうですか。なぜ、こんなしつもんを、したのかな?
それは、わたしが、まっとうではないからです。だから、なにがまっとうかを、しりたかたのです。
そうでしたか。では、なぜ、あなたは、じぶんがまっとうではない、とおもうのですか?
それは、わたしが、よのなかをいきるのを、くろうしているからです。きっと、まっとうなひとであれば、よのなかをいきやすい、とおもうのです。
そうでしたか。でも、もしかしたら、よのなかが、まっとうではないから、まっとうなあなたが、いきづらいのでは、とかんがえてみては、どうですか?
それでは、よのなかが、まっとうではないというのですか?
そういうみかたをしてみても、いいのではないでしょうか?
でも、そうすると、このよのなかの、ふびょうどうさや、みにくさが、よのなかがわるいせいだということになります。でも、わるいよのなかはいやです。だから、よのなかはまっとうだとおもいたいのです。
では、よのなかはまっとうだけれども、ひとびとはまっとうではないというのはどうですか?
そういうことかもしれませんね。でもそうすると、よのなかはひとびとでできているから、まっとうでないひとびとがまっとうなよのなかをつくることになって、なんだかおかしいです。
(あなたのかんがえがそもそもおかしいのですよ。)では、こうかんがえてはどうでしょう?よのなかには、まっとうなひとと、まっとうでないひとがいて、かれらがつくりあげるのがよのなかなのです。つまり、よのなかはいちぶまっとうで、いちぶまっとうではないのです。
それは、いいかんがえかもしれません。よのなかのうつくしさも、みにくさも、せつめいできます。
でも、まっとうか、そうでないかも、してんによってかわるものだともおもいます。
というと?
あめがふってきたときに、ぬれるのがいやないきものはいやがるけれども、ぬれないとせいちょうできないいきものはそれをこのむのとおなじことです。(いいかげんかいわをおわらせたいなあ。)あ、あめがふってきた。さようなら。
2017年7月24日月曜日
2017年7月23日日曜日
人間という肥溜めに、脂ぎった食べ物をたくさん詰め込む。
人間という肥溜めに、脂ぎった食べ物をたくさん詰め込む。そこにある無責任さは、ただ単純な、その場限りの暴食の枠を超越した無責任さだ。
味わうという幸福をないがしろにし、腹の中に詰め込まれる死体の山の過去への感謝を怠る。そこには生産者という名の生をもてあそぶ者たちへの感謝もなく、また彼らの生活への関心も配慮もない。だからその腹の中の死体の山が何でできているのかも、なぜそれが自分の体だけでなく自然環境そのものに悪影響を及ぼしているのかも、何もわからなくなってしまうのだ。
それは、有り余りすぎるほどに、腐るほどに、無駄に大量に、生を倫理も道徳も意味もなく消費し、ただそれを金としてむしり取る社会の生み出した、反吐の出るような食事文化かもしれない。
ひとのかたまり
機械が動く、轟々と。ごうごうごう。工事現場が動いている。カンカン、だんだん、どしどし、ずんずん。
メトロに乗った、どごーごーごー。暗くなった、ごごのごごのごごぼごごごー。ごーんーーーーひゅぅーーーーうん。駅に着いた、びーっ、びーっ、びーっ、びーっ、扉が閉まる注意の音。
降りなかった、びぎゅーんーぼぼぼーごーぼーーぼぉーーーんーーゆーーううぅーんーーーるるる。びーっ、びーっ、びーっ、びーっ、び。
ごぼーごーごごごーーごごー、ゆーんゆーんごびーびーんーぎゅるーんーーぼーんーーのののののののののーんゆーーーーぅーー。
駅の音もする。もももももももももー、と何かモーターの唸るような。機嫌が悪いのかも。歩み行く集団の折りなす羅列。
るーーぎゅるーるーるーるーーーるー。エスカレーターに連なる人々は、僕と同じ方向に流されていく(真逆に流れる人もいる)。
わーさーーわーまーーさーわーー、人々のざわめきの重なりあった音のかたまり。耳が音を受けて押される圧倒感。わーーさーーーざーーわーー。人のかたまり。なんだか機械みたいだ。
2017年7月22日土曜日
いつもたいへん
いつもたいへんおせわさまさま。いっつもたいへんでこまっちまうまう。いつもへんたいがちょっかいだしてくるくる。いつもどいつもこいつもいつも、つもつもつもる、たいへんさ。
ふたりでせおう、かいしゃでせおう、しゃかいでせおう、くにでせおう、ほしでせおう、たいへんさ。いつもたいへんでござる。
ふたりで、かいしゃで、しゃかいで、くにで、ほしで、いつもたいへんおせわさまでござる。
2017年7月21日金曜日
せいじ
どんなせいじ、いろんなせいじ、いろいろあっていいとおもう。よいせいじだって、わるいせいじだってある。みぎよりも、ひだりよりも、ぱせりだってろーずまりーだってたいむだって。そんなはーぶのせかい。
2017年7月20日木曜日
ぞんばずんば
ぞんばずんば、むんばずんが!ばんがぼんが、ぎんばきんば!がんばむんば、ぎんがいんが!そんがないが、あんがいいいが!わるかなが、よくもないが!んなわけないが、じんじゃにんじゃ!かんじゃなんじゃ、しんじゃいやじゃ!
2017年7月19日水曜日
2017年7月18日火曜日
げんき(ん)だしていこう
現金出していこう。身の丈にあった現金出していこう。出さないでいこう。社会の窓はしめていこう。今度またいこう。今度でいいからいこう。今回はやめてからいこう。後悔先に立てていこう。現金なかったら相場を移行。職場も移行。総理の意向は気にしないで行こう。憩う時間も大切です。元気出していこう。
2017年7月17日月曜日
ぶんどこことどこ
ぶんどこどこここ、ぶんどきどこそこ、ぶんどどどどどど、そここここそこそ、ぶんこはどこかな、ぶんぶくがまがま、ぶんぶんここどこ、ずんどこずんずん、げんげんげげげん、だんだだんだん、ぶんぶんぶべべべ。
2017年7月16日日曜日
2017年7月15日土曜日
2017年7月14日金曜日
正しいとか正しくないとかじゃなくって
正しいとか正しくないとかじゃなくって、やましいとかやましくないとかじゃなくって、悲しいでも悲しくないでもなく、寂しいでも、楽しいでも、悔しいでも、嬉しいでも、苦しいでも、美しいでもない。
限りなく、純真に、感情の塊。
たましい。
2017年7月13日木曜日
誰もが落ちる、この世界。
人間としての体の健康
人間としての心の健康
個としての体の欲求
個としての心の欲求
社会との関わりで求められる物理的要求
社会との関わりで求められる精神的要求
どれか一つでもバランスを崩して落ちれば、他の部分も巻き添えを食ってバランスを崩してしまう。こんなややこしい中でバランスをとって生きていくのはよっぽどの曲芸師じゃないと難しい。だから多くの人はどこかで落ちている。落ちる高さは違うかもしれないけど。でも、だから落ちることを恐れないで。
2017年7月12日水曜日
ぽんぽんぽこりん
ぽんぽんぽこりんぺんぽこりん、ぺんぺんぺんぺんぺんぽこりん、ばばんばんばんばんぽこりん、じゃんじゃんじゃかじゃんじゃんぽこりん、にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃんにゃんぽこりん、ぽりーしぽりぽりぽんぽこぺりん。
ナンセンスな電子書籍
ナンセンスが大爆発したり、発火しないで消えちゃったり。そんなよくわからない不思議でリズミカルで謎な文章で満ち満ちたブログ『ナンセンスすりりんご』が電子書籍になりました!ブログ収録の61編の他、新たに書き下ろした7編の新作ナンセンスも大収録。ブログ「ナンセンスすりりんご」が電子書籍になりました!ブログでまだ公開されていない新作や、本書籍でしか読むことのできない書き下ろしナンセンスも収録しています。 今後ともナンセンスすりりんごをどうぞよろしくおねがいいたします。
2017年7月11日火曜日
私が知っていること。
それはなんだろう。知っているってそもそもどういうことだろう。私が知っていることって、本当にあるのだろうか?
私はあなたを知らないし、自分の大切にしているおもちゃのこともよく知らない。家族のこともどれだけ知っているのかわからないし、それに、私自身のことについてはなおさらわからない。
人は表面に見えてくるものしか見えないし、聞こえないし、感じられない。それがそのものの一部でしかないことは、頭が良さそうな人もわかっていない(もしくはわかっているフリをして他人をだますのに使っている)。
もちろん、知識がたくさんあった方が生活か便利になる気もするし、人間関係も円滑になる気もするし、仕事もはかどる気もする。でも、本当にわかっている、本当に知っていることってどれだけあるだろう?
きっと私もあなたも物事をなんとなくわかっているような気になってこれまで生きてきたし、これからも生きてきた。
でもでも、それでも自分が知らないことなら世の中にたくさんあるのはわかる。だけども、知らないと言うことを知っていると言うことは知識に含まれるだろうか?
2017年7月10日月曜日
2017年7月9日日曜日
詩ですかでん
詩ですか?どんな詩ですか?なんかこう、おしゃれ系?難解なやつとか?それとも、ちょっとこう、甘ったるいロマンチックなヤツとかっすか?
いえ、もっとこう、ナカミがなくて、スカスカで、なにもないんだけれども、それでいい、みたいなヤツです。私の人生や、そしてもちろんあなたの人生と一緒でん。でん!でん!でん!!!
2017年7月8日土曜日
2017年7月7日金曜日
あさってから来た地獄
あさっての方向から飛んできた、槍をきのうに投げ返し、涙をのんで見守った、愛しいあの子の晴れ姿、それでも雨はやまないが、ウサギの耳は隠れ見え、いななく鳥のさえずりに、歌うは我の心情の、恋に仕事に片付けに、まだ見ぬ夢の狸汁、皮算用も早々に、明日への扉を開きつつ、も一度寝れば明くる日に、とりいだしたるは一本槍、過去の行い正すべく、おととい向かって投げいれば、一昨昨日へと飛んでいき、見初めしあの子を貫いて、哀れ乙女は黄泉の国、泣き濡れ私は辺獄で、己の過去を悔やんでは、すべてを呪い恨みつつ、二つの穴を眺めては、やはり我が身も愛しくて、次第に陥る蟻地獄、来世は狸になりたいと、地獄の鳥に泣きすがる。
2017年7月6日木曜日
むいか
むいかむいか、さむいかむいか、さむくないかもしれないが、むいかもしれないし、むいかかもしれない。まんだんさんだんごまんだん、だだんだんだんだんぱつしき。むいかはいいひかわるいひか、さらりとさらさなかきつらね、むいかがくるのをひとばんねてまつ。
2017年7月5日水曜日
あまたがいたい
あたまがいたい、あまたがいたい、あまたがはま、あなたがいたい、おなかがいたい、おならだしたい、やまがたいきたい、たまにはいたい、たべたらいたい、ふらんしたいたい、たまがたがたか、あまがたあがた、あなたといたい、あいたい。
2017年7月4日火曜日
2017年7月3日月曜日
テストテスト、ホー、ホーッ。
こんなテストに一体どれだけの意味があると言うのか。もし、これ、そして、あれ。もし、この文章が公開されたら、そしたら、別のところでも公開される、テスト。そこにはこの文章の題名や文章そのものが私の許可の元コピーされて、それを皆様への通知とする。まったくもって変なテストだ。そのためだけに私は携帯の小さなボタンをポチポチ押しながら、努力と退屈と涙と平凡と悲しみと、やりきれなさを抱えつつ、右目の中に入りかけた睫毛と、テレビ画面に映った不可思議で、凝った作りで有りながらきっとそこにはなんの意味もなく、そのなんの意味も持たない部品が構成されて言って意味ありげに見える、ただ過去から現在に逆流した、人々の熱狂を小馬鹿にしたような作品に視界の脇と耳からの情報を占拠されながら、エクトプラズムを吐き出す謎の生き物などに時折注意を向けながら、これを書き終えた。まる。
2017年7月2日日曜日
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