記憶はまるで、虫に食われたセーターのようだ。
時系列通りにいくら思い出そうとしたところで、そこには常に虫食いがある。
別に虫が脳に住んでいて、記憶を食べて生きているわけではないのだろうが(そう思いたいが)。
思い出せないというのはなんだか怖いことだ。
しかし、思い出せないものを思い出すことはできないから、どの記憶が欠けているのかはわからない。
だから、ある意味ほんとの恐怖ではなくて、中途半端な、実体の欠けている恐怖だ。
それに気づくのは、他人との会話の中とか、自分で何かしようとしたときに、ふとある部分の記憶が無いことに気づくとき。
それ以外の時には、ただ漠然と記憶の欠けている部分に対して小さな恐怖を種が芽を出すのを感じながらも、それは育っていかない。
それが育つのは、育つのは・・・育つのは・・・
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