2017年7月26日水曜日
まっとう、ですか
まっとう、ですか?
いいえ、まっとうではありません。あなたは、まっとうですか?
いいえ、わたしも、まっとうではありません。
うーん、そうですか。なぜ、こんなしつもんを、したのかな?
それは、わたしが、まっとうではないからです。だから、なにがまっとうかを、しりたかたのです。
そうでしたか。では、なぜ、あなたは、じぶんがまっとうではない、とおもうのですか?
それは、わたしが、よのなかをいきるのを、くろうしているからです。きっと、まっとうなひとであれば、よのなかをいきやすい、とおもうのです。
そうでしたか。でも、もしかしたら、よのなかが、まっとうではないから、まっとうなあなたが、いきづらいのでは、とかんがえてみては、どうですか?
それでは、よのなかが、まっとうではないというのですか?
そういうみかたをしてみても、いいのではないでしょうか?
でも、そうすると、このよのなかの、ふびょうどうさや、みにくさが、よのなかがわるいせいだということになります。でも、わるいよのなかはいやです。だから、よのなかはまっとうだとおもいたいのです。
では、よのなかはまっとうだけれども、ひとびとはまっとうではないというのはどうですか?
そういうことかもしれませんね。でもそうすると、よのなかはひとびとでできているから、まっとうでないひとびとがまっとうなよのなかをつくることになって、なんだかおかしいです。
(あなたのかんがえがそもそもおかしいのですよ。)では、こうかんがえてはどうでしょう?よのなかには、まっとうなひとと、まっとうでないひとがいて、かれらがつくりあげるのがよのなかなのです。つまり、よのなかはいちぶまっとうで、いちぶまっとうではないのです。
それは、いいかんがえかもしれません。よのなかのうつくしさも、みにくさも、せつめいできます。
でも、まっとうか、そうでないかも、してんによってかわるものだともおもいます。
というと?
あめがふってきたときに、ぬれるのがいやないきものはいやがるけれども、ぬれないとせいちょうできないいきものはそれをこのむのとおなじことです。(いいかげんかいわをおわらせたいなあ。)あ、あめがふってきた。さようなら。
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