人間という肥溜めに、脂ぎった食べ物をたくさん詰め込む。そこにある無責任さは、ただ単純な、その場限りの暴食の枠を超越した無責任さだ。
味わうという幸福をないがしろにし、腹の中に詰め込まれる死体の山の過去への感謝を怠る。そこには生産者という名の生をもてあそぶ者たちへの感謝もなく、また彼らの生活への関心も配慮もない。だからその腹の中の死体の山が何でできているのかも、なぜそれが自分の体だけでなく自然環境そのものに悪影響を及ぼしているのかも、何もわからなくなってしまうのだ。
それは、有り余りすぎるほどに、腐るほどに、無駄に大量に、生を倫理も道徳も意味もなく消費し、ただそれを金としてむしり取る社会の生み出した、反吐の出るような食事文化かもしれない。
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